本読みたろたろの備忘録

洋書を中心に、読んだ本の内容を忘れないように記録します

Jalalzai, Farida (2013) Shattered, Cracked, or Firmly Intact? Women and the Executive Glass Ceiling Worldwide, Oxford University Press

概要

・全体で305ページ(付録、注、文献表等を除いた本文は、183ページくらい)。50ページほどある付録(Appendix)には、本書の分析対象期間である1960年から2010年までの世界各国の女性政治リーダーの生まれた環境、教育、リーダーになった経緯等の紹介や、それぞれの女性リーダー及びその前任者の在任期間の長さ、親族に政治リーダーがいる男性リーダーの一覧、女性が複数名立候補した時のそれぞれの候補者の得票順位等、膨大なデータがある。邦訳なし。

・1960年にスリランカのSirimavo Bandaranaike大統領が就任してから、世界中で女性の政治リーダー(大統領又は首相)は少しずつ増えている。政治リーダーへのガラスの天井は、フィンランドのように粉砕された(shattered)ところ、英国のようにひび割れた(cracked)だけのところ、米国のようにしっかりと無傷なまま(firmly intact)のところがあるが、全体としていまだに、政治リーダーには男性が就くことが圧倒的に多い。なぜそうなっているのか、女性がリーダーになるためにはどのような条件が必要なのか、また、女性がリーダーになることを妨げているものは何かを、ケーススタディなどの定性的研究から仮説を導き出し、それを計量的手法を用いて定量的に確認する。

・統計的に有意であることが確認できた仮説は次の通り。①大統領と首相がいるような執政が二重になっている国の方が女性はリーダーになりやすい(2つポストがあるから女性が就く確率がより高くなるし、権力が分散されているので、女性がリーダーになることに対する既存エリートの警戒が和らぐ)、②複数政党制の国の方が女性リーダーが多い(直接公選よりも決選投票になることが多いので、過半数の票を獲得できなくても大統領候補等になりやすい)、③女性国会議員の割合が高い国の方が女性リーダーは多い(女性たちへのポジティブな影響がある。政治についてより女性が話すようになったり、政治的有効性感覚を得たり)、④核保有国では女性リーダーはほとんどいない(公衆は軍事のような領域は女性よりも男性の方が向いていると思いがちなので、軍事大国では女性はリーダーになりにくいのではないか)、⑤既に女性リーダーが過去に存在している国の方が女性リーダーは多くなる(普通の議員より大統領や首相はニュースに取り上げられやすいので、政治リーダーは議員よりも他の人に与える影響力が大きくなる)、⑥女性の政治リーダーは家族が政治リーダーであることが多い(親族のネットワークを活用できたりする。)。

 

感想

女性議員の割合と比べるとあまり研究が進んでいない印象のある女性政治リーダーについて、分析対象を1960年〜2010年という長期で、かつ、いくつかの国ではなくヨーロッパもラテンアメリカもアフリカもアジアも含めた、世界各国にするという途方もないプロジェクトです。しかも、国連や列国議会同盟(IPU)のデータを用いて統計的に分析するだけにはせず、質的研究も組み合わせるということを、編著にして何人かで分担して研究するなら理解できるのですが、それを一人で行ったというのはほとんど信じがたいことです。研究計画を立てるだけでも眩暈がしたんじゃないかと思いました。

本書を読んで最も印象に残ったのは、世界各国で女性リーダーが出てきているとはいっても、まだそんなに数は多くないし、しかもそのうちの相当数、特に南アジア・東南アジアでは全員が、ラテンアメリカやアフリカでは多くが、親などの家族が政治リーダーだった人だということ(そういえば、本書の分析対象期間からは外れますが、韓国の朴槿恵大統領もそうですね。)。政治リーダーの家族だと、その人のコネをうまく使えるし、それにプラスしてジェンダーステレオタイプ(「母性」を強調することはいろんな地域で見られることのよう。)を自分に有利なように利用できるようです。もし今月の自民党総裁選で高市議員が総裁に選ばれていたら、家族が政治リーダーじゃない女性が首相になるというアジアにおいて極めて珍しい事例になったのかもしれません。

もう一つ興味深かったのは、その国におけるジェンダー開発指数GDI。健康、教育、生活水準におけるジェンダー間格差を指標化したもの)は女性政治リーダーを輩出するか否かに統計的には関係がなかったこと。その理由について、社会経済的に上位の階級の人が政治リーダーになろうとするからだということを言っていて、なるほどなと思いました。ただ、著者はセゴレーヌ・ロワイヤル(Segolene Royal)氏が社会党の候補者となった2007年のフランスの大統領選挙(サルコジ氏が勝利)とヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)氏がオバマ氏と民主党の候補者の座を巡って争った2008年のアメリカ大統領選の2つの事例を分析し、ロワイヤル氏もクリントン氏もメディアの取り上げ方によってジェンダーステレオタイプが増幅されてしまった(それが両者に不利に働いた)ということも言っていて、そのメディアの取り上げ方はその国におけるジェンダー平等の程度や意識の状況を反映しているんだから、やっぱりその国のジェンダー平等の程度も女性リーダーが輩出されるかどうかに関係あるんじゃないかなと思ったりしました(それはGDIという指標ではうまく捕捉できないということかもしれないけれど。)。

本書は、本当によくこんなに研究したなと感嘆してしまうものですが、付録の一つにあった家族に政治リーダーがいる男性政治リーダーの表について、日本を見てみると、本当はたくさんいらっしゃるはずなのに、福田康夫元首相の名前だけしか書いてありませんでした。言葉の問題や資料・研究の多寡があるから、全ての国について完璧に網羅するのは不可能だし、それを期待することは生産的でもないとは思うものの、もしかすると日本だけではなく他の国にもこういう事実誤認があったりするのではないかという疑いは抱きました。もちろん、だからといって、この途轍もなく野心的な力作の価値が、これによって毀損されるとは全く思いません。読書前後で世界の見え方が変わる、素晴らしい作品でした。