本読みたろたろの備忘録

洋書を中心に、読んだ本の内容を忘れないように記録します

Krook, Mona Lena (2009) Quotas for Women in Politics: Gender and Candidate Selection Reform Worldwide, Oxford University Press

概要

・全体で290ページ(付録、注、文献表を除いた本文は226ページくらい)。邦訳なし。

・導入する国が増えているジェンダー・クオータ制(以下「クオータ制」と略します。)について、①なぜ、クオータ制は採用されるのか、②クオータ制はどのようなインパクトをもたらすのか、6つの国をペアに比較したケーススタディパキスタンとインド、スウェーデンと英国、アルゼンチンとフランス)によって解明を試みる

・制度変化の3つのカテゴリー、すなわち、①systemic institutions(政治制度の公式な特徴)、②practical institutions(政治エリートたちの公式・非公式の実践・行動)、③normative institutions(平等や代表についての公式・非公式の原則)に着目し、これらが調和するように制度設計ができるか、これらのうちの一部しか変えられないかで、クオータ制のインパクトの大小が左右される

 

感想

クオータ制について、様々な報道で取り上げられることが増えてきたように思います。著者によれば、クオータ制は1990年代から2000年代にかけて急増したということで、内閣府男女共同参画局によれば、世界196の国と地域のうち、118の国と地域で、国政レベルのクオータ制が導入されているそうです。

なお、一口に「クオータ制」と言っても、制度の在り方は一つではなく、①議席割当制(議席のうち一定数を女性に割り当てることを憲法又は法律で定める)、②政党によるクオータ制(政党が党の規則等によって議員候補者の一定割合を女性又は男性に割り当てることを定める)、③法的候補者クオータ制(議員候補者の一定割合を女性又は男性に割り当てることを憲法又は法律で定める)の3種類に分けることが一般的で、本書もこの分類を踏襲しています。

日本では、2018年には「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が施行されていて、そこでは基本原則として、衆議院参議院、地方議会の議員選挙において、男女の候補者の数ができる限り均等となることを目指すこととされていますが、これは、上記の③法的候補者クオータ制を少し弱めたものということになるのでしょうか(各政党が目標を定めるなどして自主的に取り組むように求める規定もあるので、②の要素もある?ちょっとよく分からない。)。しかし、この法律ができた後、女性議員がすごく増えた!ということを聞きません。それは、この法律に強制力がないからなのか、それとも何か別の理由があるのか。

もちろん、強制力がある法律だったら大きな変化がありそうですけど、強い法律にするための合意形成が大変そうです。本書は、それぞれが相互に関連している制度変化のカテゴリーという視覚を導入することで、クオータ制をより効きやすいものにするための戦略を考えるヒントを提供しているように思います。それは、クオータ制が導入すれさえば全てうまくいく!と万能薬として考えるというより、クオータ制、女性議員を増やすための、ほかのものたちと一緒になって変化をもたらす道具の一つとして捉えるということでしょうか。

上で触れた「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」は、候補者をできる限り均等にするんだ、ということを言っていて、これはnormative instituitionsに働きかけて、規範を法的に変化させようというものなんじゃないかと思うのですが、これだけで劇的な変化が生じなかったのは、この規範の変化が十分でなかった(強制力がないからだ!という指摘に対応)という可能性と、女性候補者をちゃんと当選しやすい選挙区(小選挙区制)・順位(比例代表制)に置くかどうかという各政党の行動(practical institutions)に十分な変更がなかったという可能性があるのかなと思いました。本書は、クオータ制について語られる際に必ずと言っていいほど参照される作品ですが、日本にどういう含意を引き出せるのか気になりました。

また、本書はすごく面白くて勉強になったのですが、1点だけ、本書の重要な主張である、3つの制度変化のカテゴリーが調和が取れるような制度設計ができていないといけないということ(著者はこれをharmonizing sequenceと呼びます)について、どういうときに調和が取れていると言えるのか疑問に思いました。クオータ制を導入することでうまく言った3つの事例について、この国はうまくいった、なぜならharmonizing sequenceがあったからだ!と言われても、うまくいったものをharmonizing sequenceがあったと言っているだけなんじゃないか(私が誤読しているだけなのかもしれませんが・・・。)。

クオータ制が注目されるようになっている今だからこそ、本書の議論の妥当性とその日本への含意について、詳しい方が論じてくださらないかなあと思いました。